芦野宏人形ご製作の佐藤三郎さん(人形作家) ご来館
フランス人歌手イヴェット・ジローさんが3日に逝去したと悲しいニュースが入りました
8日にご遺族が公表したところによると、97歳だったそうです
「あじさい娘」「ミラボー橋」などが代表曲でした
ジローさんは親日家で、日本語でのシャンソンも歌い、日本語で表記された本も発行しているほどです
故芦野宏先生とジローさんとのつながりも強く、日本では最後となる「さよなら公演」を日本シャンソン館で行う際にはご主人でピアニストでもあるマルク・エランさんとともにステージに立ちました
当館にとって、イヴェット・ジローさんはもっとも縁のある歌手であり、シャンソン界においてもまた、かけがいのない偉大な歌手でした
ご冥福をお祈り申しあげます
ジローさんが残してくれたメッセージは当館で行った1996年12月のコンサート時のもので、寄贈いただいたステージ衣装とともに展示しています
→ → → 第15回 日本シャンソン館ボージョレ・ヌーヴォー解禁イベント
「フェットゥ・デュ・ヌーヴォー Jazz meets CHANSON」(2013.11.23開催)
Fête du nouveau vol.15 concert "Jazz meets CHANSON"
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日本では「私の孤独」「ある日恋の終わりが」などが
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3月4日に日本シャンソン館にて
「芦野 宏 お別れの会」を執り行いました。
日本シャンソン館の新旧の友の会会員さま、お馴染みのお客さま、
当館に出演中歌手の方々、近隣施設の方々、元従業員など
約350名がお見えになり、
新聞社やテレビ局の取材陣もいらしていました。
いつもはシャンソン・ライヴを行うホール、ヴェルメイユが
この日は追悼の場となり、
祭壇は青と白の花々が海原となって
芦野館長の代表曲「ラ・メール(海)」をあらわしました。
そして献花台の奥には、
芦野館長がいつものようなあたたかい笑顔を見せています。
訃報が届いたあとのご来館で、
芦野館長との再会が遺影に代わってしまった方々は、
悲しみの涙を浮かべられていました。
どなたからも好かれていた芦野館長だけに、
深い哀しみをみなさんのこころに残していってしまいました。
館内に入りきれないほどの多くの方が、遠方よりご来館されたことから、
生前の芦野館長の人柄が偲ばれます。
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3月8日には、東京会場にて同会を開催しました。
大きなスクリーンに歌う芦野館長を映し、
デビュー当時からの写真や数々の勲章、そしてステージ衣装などが展示されました。
日本シャンソン館同様に、
芦野館長の息吹を感じるような展示で、ご来場の方々をお迎えいたしました。
シャンソン歌手の方々、著名人、日本シャンソン協会の会員さま、
音楽業界の方々、館長のファンの方々、縁りのある方々、
そのほか大勢の方々にお越しいただき、
約500名にのぼるご来場者のお名前がありました。
こちらの会場でも、
館長のお好きだったバラを、お越しいただいた方へ
献花としてお渡しました。
真っ白な美しいバラを手にして献花台へと向かう方々も、
前に進めないほど、
広いホールに多くの方々がお見えになっていました。
帝国ホテル・富士の間は、
芦野館長のデビュー50周年のディナーショー会場でしたので、
セレモニーとしてではなく、
来年の60周年記念コンサートの場所であってほしかったという無念さが残ります。
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多くの方々に、ご多忙のなか、
芦野館長のお別れの会に足をお運びいただきましたことを御礼申しあげます。
また、お別れの会にご協力いただきました歌手の方々、ピアニストの方々、
ありがとうございました。
お亡くなりになる直前までステージに立ちつづけられ
最後までマイクを持ち、聴く人のこころに残るシャンソンを
歌いつづけられていました。
芦野館長のライヴをもう見ることはできなくなってしまいましたが、
歌声が響き、いきいきとお歌いになる姿の映像が流れ、思い出の品々が迎え、
いつでも芦野館長と会える、唯一の場所が日本シャンソン館です。
わたしたちスタッフもまだまだ悲しみに沈んでいますが、
歌手・芦野宏館長の存在をもって
シャンソンを未来へとつないでいく使命がありますので、
今後の発展にむけて尽力していきたいと思います。
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